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生物多様性の宝庫――「ウェットランド(湿地帯)」という貴重なフィールド

 涼しげな水辺が恋しくなる季節になりました。今回は、“水”が形成する美しい「ウェットランド(湿地帯)」の世界を探訪してみます。

 地球上のすべての生物は、さまざまな生態系のなかでお互いに関わり合いながら生きていますが、湿地の生態系は熱帯雨林やサンゴ礁に匹敵する重要な存在。「ウェットランド(湿地帯)」は、そこに生息する生物種のみならず、地球全体の環境にとっても不可欠なものなのです。

「湿地」にはどんなタイプがあるの? なぜ重要なの?

 湿地に関する国際的な取り決めであるラムサール条約(詳しくは後述)では、湿地を以下のように定義しています。

 湿地とは、天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なものであるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水(きすい=淡水と海水の中間の塩分を持つ水)であるか鹹水(かんすい=海水のこと)であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が6メートルを超えない海域を含む。」(条約第1条1)

 一般的にイメージされる湿地のほかにも、湖や沼、河川、湧水地などの水のある自然環境、ため池、ダム湖、水田などの人工的な環境も、じつは湿地に含まれています。

 さらに、遊水池や地下水系、塩性湿地(マングローブ林などの海岸沿いの湿地のほか、内陸の塩湖も含む)、沿海部では、干潟、藻場、サンゴ礁なども湿地に分類されています。要は真水でも塩水でも、水のある場所はすべて湿地のカテゴリに入るのです。

世界のラムサール条約登録湿地は、170カ国、2,332カ所にものぼる(2018年10月現在)。

「ラムサール条約」って何? どんな取り決め?

 18世紀後半の産業革命以降、地球規模で環境破壊が進みました。森や山は切り開かれ、海岸は埋め立てられていきました。その後、乱開発の弊害が徐々に明らかになり、環境保全の重要性が広く認識されるようになっていきます。そんななか、地球規模で環境を守る取り組みの最初の一歩となったのが、1971年の「ラムサール条約」です。正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」で、水鳥が食物連鎖の頂点である湿地の生態系を守ることを目的とした取り決めです。

 「ラムサール条約」によって湿地の生態系の重要性が広く知られるようになり、これをきっかけとして、さまざまな環境の保護・保全への取り組みが盛んになっていきました。

釧路湿原には〝湿原の神〟と呼ばれるタンチョウをはじめ、170種もの野鳥が飛来する。

 湿地帯は、温室効果ガスである二酸化炭素を吸収し、炭素を蓄積することで気候を調整しているほか、水質の浄化、水量調整などを行なっています。さらには、多種多様な生物が生育する環境であり、多くの生物にとっての食糧供給源にもなっています。こうした特性を持つ湿地帯が環境に与える影響は、熱帯雨林に匹敵するといわれています。

 湿地帯は、開発や踏み荒らしなどに対して非常に弱い面があります。例えば、尾瀬など多くの人が訪れるような場所では、いったん荒らされると元に戻すのは非常に困難です。そのため尾瀬では木道が設置されて、決められたところ以外には踏み入らないようになっています。

本州最大の湿地、尾瀬は高山植物の宝庫。季節ごとに、ミズバショウ、オゼソウ、ニッコウキスゲなど900種を超える植物が生育し、年間30万人近い入山者が訪れる。

 また湿地帯は、人間の食糧供給源の場としても欠かすことができないフィールドです。日本では各地に干潟があって、農耕が始まる前の古代から、人々は貝類などを採って暮らしていました。沿岸の藻場では多くの魚や海藻が生育し、昆布、ヒジキなど、和食に欠かせない食材を提供してくれます。

 日本人の主食の代表・お米も、湿地である田んぼで作られます。ほかにもレンコン、ジュンサイ、クワイ、ノリ、ワサビなども湿地の産物です。日本の食文化は、湿地の恵みを最大限に活かしたものといえるでしょう。

 日本では、なんと全国で52カ所が「ラムサール条約」に登録されています。北海道らしい景観として知られるサロベツ原野や釧路湿原をはじめ、山岳地帯では尾瀬や奥日光、立山弥陀ヶ原、九州のくじゅう坊ガツルなど、海辺では東京の葛西海浜公園、和歌山県の串本、広島県安芸の宮島、沖縄県与那覇湾、慶良間諸島海域などなど。さらには地下水系の例として、山口県の秋吉台の鍾乳洞があります。

 水辺の美しい景色は人の心を癒してくれる存在。人気観光地になっている湿地も多くあります。

山口県の秋吉台の地下に広がる秋芳洞(あきよしどう)の百枚皿。一般的にイメージされる湿地の風景とは異なるが、約1kmにわたり地下川が流れる湿地のひとつ。

豪雨災害の解決策のひとつが湿地の保全

 ここ数年、集中豪雨による被害を報じるニュースを数多く耳にします。台風が多い夏場はとくに大雨の被害が出やすい時期で、昨年も大きな被害が出ました。豪雨被害を抑えるのに、湿地は重要な役割を果たしているのですが、その湿地が減少してきているのが問題のひとつとされています。

 過去100年間の気象データを比較すると、年間降水量は「変動幅が増加」傾向。1時間の降水量が50㎜以上の雨の年間発生件数は100年前と比較して約50%増、80㎜以上だと約70%の増加となっており、豪雨の発生頻度が高くなってきています。

 一方、湿地は減少の一途をたどっています。「ラムサール条約」事務局が発表した報告書によると、1970~2015年の約半世紀で、世界の湿地面積の約35%が消滅したとのこと。日本でも、多くの湿地が工業地帯や宅地などに姿を変えました。

 湿地は、天然のスポンジのようなもので、地表水や雨水を吸収する機能があります。大雨などで流出した水を一時的に溜め込み、時間をかけて放出するので、洪水を防ぐのに役立つのです。

 また、長期的な大雨日数の増加は、地球温暖化が関係している可能性が高いと推測されています。温暖化のスピードを抑えるには、二酸化炭素やメタンをはじめとする温室効果ガスの排出を減らす必要があります。湿地は二酸化炭素の吸収機能が高いため、湿地保全=温暖化の抑制にもなっているのです。

 水辺へ出かける機会も多くなるこれからの季節。さまざまな生物が生息する湿地では、潮干狩りや湖・海水浴、美しい花に出会える高原のハイキングなど、楽しみがたくさんあります。この夏、水によって作られる美しい風景、その代表的なフィールドである日本各地のさまざまな「ウェットランド(湿地帯)」に行ってみてはいかがでしょうか。

[文 ACORN編集部]

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