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森と人との健康な関係を取り戻す。森林療法を実践する上原巌さん(前編)

 森を歩く心地よさ……。誰もが経験的に知っている「言葉にできないあの感じ」、「癒し」などと抽象的に語られる感覚を、深い経験と豊富なデータに基づき、系統立てた「森林療法」として科学的に確立した先生がいる。

 そんな「森林療法」を、国内はもとより、世界中の森で実践し、森と人の健康な関係を取り戻そうと奔走する、東京農業大学教授・上原巌さんにお話をうかがいました。

【どこにでもある 森に息づく人と自然の物語】

「気持ちのよい森ですねえ」

 ここは千葉県の里山にある小さな森。ヒグラシが涼やかに歌いあげる樹間を、やわらかい風が吹き抜ける。それはたしかに好ましい夏の風景だが、素人目には「どこにでもある森」という印象……。

「この森は天然林だったはずですが、人の手が入っているので、うまく木がすけている。当時は、下層植生も生えていなかったでしょうが」

 先生の言葉に思わず聞き返す。どうしてこの森に人の手が入っていたことがわかったのですか?

「たとえば、このイロハモミジは自然の状態ではこうはならない。これは萌芽更新(ほうがこうしん)で枝分かれした跡なんです」

 そう言いながら、感心するように

「この人はこの3本を残したんですねえ」とつぶやいた。

 家庭に電気やガスが普及する以前、人々は近隣の森から薪を拾い、炭に加工するなどして、それらを熱源とする暮らしが長く続いた。そんな脈々と続く暮らしから生まれた知恵のひとつが、萌芽更新。広葉樹を小さなうちに切ると、切り株からたくさんの芽が生まれる。それらを育てることで、短期間に薪炭用の材を得ることができた。それはまた、森を若返らせ、地表に太陽が届くことで、天然更新を促進する作用もあったという。

「たとえばこのヤマザクラは、明らかに意図して残したものです。ここに巻きついた蔓(ツル)を取った跡がありますよね」

 いわゆるフジのツルなど「絞め殺しの木」と呼ばれる植物は、非常に堅く巻きつくだけでなく、重くなることで、宿生植物を倒してしまう。ところが、巻きつかれる樹木側の生命力が強いと、成長していくにつれ、引っぱる力でツルを千切ってしまうこともあるのだとか。

「ところが最近の研究でわかったのですが、ツルが下がることで緑のカーテンとして作用する場合がある。宿生された樹木はたまらないでしょうが、その影で成長する生命もある。彼らも生物界のバランス、その一翼を担っているんですね」

 先生は気持ちよさそうに汗を拭い、ヤマザクラの大木を見上げる。サクラの背後には建築物があるのだが、樹高から考えるに、この木はその何十年前からここに存在していたのだろう。現在ならば、工事の便宜を優先し、周囲の木を切って更地をつくり、それから家を建てるところだが、ひと昔前は、森を見て、残すべき木には手をつけずに作業を進めたという。周囲の自然と調和するように建てられたその家から見る森は、どんな風情なのだろうか。

「こちらは里山の典型的な樹木であるクヌギです。上のほうまで垂直に伸びているのは、幼木を密に植え、競争をさせて育てたから。そうして木の性質を見ながら、徐々に間引いていくとまっすぐに育ち、材としても価値が上がる。最初から間隔を開け、日差したっぷりの下で育てると、太陽を浴びようとまっすぐ伸びずに、低い位置で枝分かれしてしまうんです」

 明治から昭和の初期にかけて、植林樹木といえばクヌギだった。堅い木質は建材に最適であったが、育てるのには時間がかかるため、戦後は成長の早いスギ、ヒノキに取って代わられた。

「わたしは長野市の生まれで、善光寺のそばで育ったのですが、ケヤキ坂と呼ばれる森が近くにあるんです。そこは善光寺にいざということがあったときに使う修理材を確保するべく、江戸時代から守られている森で、300年生のケヤキがすくすくと育っていますよ」

 森を育てるには手間と時間がかかる。それをかつての林業家、そして社会も前提としてとらえていた。

「明治時代の林業の教科書には、皆伐は絶対にならないと明記しています。一本ずつ選んで木を残すのも、そういうことを大切にしないと多大なる惨禍をもたらすだろうと、純然たる科学の教科書に書いてあるからでしょう。森との付き合い方やそれぞれの木の利用の仕方については、明治時代のほうがいまよりずっと優れています」

 そんなことを話す間にも、先生はいろいろなことを教えてくださった。

 どこにでもある常緑樹のアオキは長野県ではいまも伝統的な火傷薬として使われており、重度の症状には化学薬品よりも高い効能が認められていること。使い道がないと見なされる落葉樹・オオバアサガラは日本酒の樽の口に使用されること。イタリアのヴァイオリン作家・ストラディヴァリは自ら森を歩いてカエデの木を選んでいるのだが、その独自の音色と共鳴は、糖度がもたらす楽器内部のカビが作用しているということ――森の小道を50mほど歩く間にこぼれ落ちる森と人が織りなす物語に、凡庸に見えた光景に光が差す。東京農業大学地域環境科学部森林総合学科の教授である上原巌先生は、森とわたしたちがかつての健やかな関係を取り戻すべく、全国各地の里山を再生し、また、森林療法を実践している。

(インタビュー:麻生弘毅、写真=片岡一史)

 後編に続く

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