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森と人との健康な関係を取り戻す。 森林療法を実践する上原巌さん(後編)

【森と人の関係を見つめ直す「森林療法」というアプローチ】

「元々、自然に近いところに育ち、父に作ってもらった竹のスキーで裏山で遊んでいました」

 山好き、森への興味が高じて、高校では山岳部に在籍し、東京農業大学へと進学する。

「卒業後はかねてより考えていた、教職の道に進みました」

 そして、7年の教員生活のうち、最後の2年間を養護学校で過ごしたことが、学術の世界へと進むきっかけだったという。

「嘘のない世界、というのは、ある意味、居心地がいいんですね」

 そこではお世辞や忖度は通用せず、つまらない授業には見向きもされないので、内容を熟考させられる。そして、障害の程度差から生まれるヒエラルキーは厳然と存在した。

「障害の軽い子が重い子をいじめるんです。ところが障害の重い子は、殴られることがわからず、避けることもやめてと言うこともできないので、とことん叩かれ、泣き続ける。警戒することもできないので、事前に逃げることもできない……そういう意味でも、まったく嘘がない世界なんです」

晩秋の軽井沢の森で行なわれた高校の先生たちとの森林療法

 そうした状況が続くうちに、先生は子どもたちを森へ連れていき、そこで授業をするようになった。すると、机に座っていられなかった生徒たちが授業に耳を傾け、パニックを起こすことも少なくなったという。

「なにより喧嘩が少なくなり、帰り道には自然と手をつないだりするようになったんです」

 そこに、明確な科学的作用を感じた先生は、教職を辞して大学院で研究を深めつつ、社会福祉施設に勤務。多様な人たちと森で過ごすなかで、森林に触れる前と後の血圧値、唾液アミラーゼ数値の変化によるストレスチェックのデータを集め続ける。1999年、そうして得た蓄積と経験を元に、森が人にもたらすエネルギーの効用を「森林療法」と名づけ、学会へと発表した。

森の中でのグループカウンセリング

 では、具体的に森のなにが人に作用するのだろうか。

「ひとつは、森の空間や風致の認知、体感作用による効果です」

 それらをもたらす要因は、森が織りなす緑、香りによる沈静化や覚醒化、木々におおわれる体感による安心感、音の反響による緩和、落ち葉を踏みしめる感触や樹皮の手触り、森林空間の揺らぎ構造による作用などがあげられる。

限界集落の山村で、認知症のお年寄りを対象とした森林療法

「そして、森を散策し作業をするといった肉体運動のなかに、知覚やバランス感覚、全身機能を活性化する働きがあります」

 認知症のお年寄りが、森にいることで、子どものころの原体験を取り戻し、覚醒したかのように間伐作業を率先することもしばしばだとか。

「とはいえ、森林療法と呼ばずとも、それに類することは世界中に、日本でも古くからありました。身分の高い方が、心の病になったときの古い記録がある国立大学の医学部の資料に残っています。そこには“海に入った後、(木立に囲まれた)神社を歩く”という自然療法を施したことがはっきりと書かれています」

 また、誰にでも同じように森が作用するとは限らないし、各人が心地よいと感じる森も一様ではない。美しいブナ林だけがよいのではなく、一見荒れた雑木林でも効果を得られることがあるし、逆に、森に対して根源的な畏れを感じる人もいるという。

「人同士でも、絶対によい結果を生まない組み合わせがありますよね。同じように、森づくりの場合でも隣あって植えない方がよい木がある。そうして、森と人の間にも相性があるのですね」

森であればどこでもいいわけではない。それぞれの人や症状にあった森があるという

 落葉広葉樹、常緑広葉樹、落葉針葉樹、常緑針葉樹という4種の森と、人の症例や心持ちをどうマッチングさせていくのか。時間はかかるけれど、その事例を積みあげることで、明確に理論化、数値化できると先生は考えている。

「ヒポクラテスの誓い、をご存じでしょうか?」

 ヒポクラテスは、医は仁術であることを説いたギリシャ時代の医師。彼は患者と対面する際、いきなり体を触るのではなく、病を得た人たちが、どんな家に住んでいるのか、その日あたりや風通し、食生活やどこの水を飲んでいるかなど、その生活環境をたずねることからはじめたという。

「それと同じことが現代人にも言えると思うんです。歪みがあるとすれば、その人の置かれた環境、自然との距離にも要因はあるはずです」

 それは現代の森林にもいえることだという。高度成長時代にもてはやされたスギ、ヒノキは、いまや誰にも顧みられずに捨て置かれている。

ヤケドにも効くというアオキの葉。日陰でもよく育ち、赤い実をつける

「そんな状況で拗ねたような心持ちになる部分が、木にも個性としてちゃんとある。そうした木は頑固で加工がしにくい。それらはやはり、樹木の育成環境によるんです」

 人にも木にも個性があり、相性がある。それらを見極めたうえで的確な森づくりを行ない、森林療法を施す一方で、アオキが火傷に効くというような、それぞれの木の役目をさりげない形で表に出すことが自身の役割では――上原先生はそう考えている。

「森は決して快適なだけの空間ではありません。もしそうであるならば、人は森林にとどまるはずですが、それはできない。人は、人工的環境と自然環境の双方を行き来しなければならない、矛盾を抱えた動物なのです」

 物言わぬ森は、わたしたちが生まれる前から、ただそこにある。ところが人は彼らに依存し、手を加え、ときに皆伐などすることで、ある種、鬱のような状況に森を追いこんでしまった。

「森本来の健康な状態を造林によって再生し、人との豊かな関係を取り戻すような方法を、今後も自分なりに模索していきたいと思っています」

(インタビュー:麻生弘毅、写真:片岡一史)

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