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東松島「復興の森」を訪ねて

  2020年1月31日、快晴の仙台から車で1時間。東松島市に到着。
ここは、2012年2月に復興に向けた「森の学校」づくりが始まり、オカムラも「アファンの森 震災復興プロジェクト」に参加してつくり上げた場所です。
(その時のストーリーはこちらをご覧ください。CSR Report2017 , WAVE+

 オカムラの自然共生、生物多様性に向けた取り組みである「ACORN活動」の研修の場を広げるため、活動の推進担当者4名と、今でも東松島で活動するアファンの森財団の大澤さんと一緒に「復興の森」の視察に行きました。 

■復興の進む街と、風化させない記録と記憶

 「復興の森」のある野蒜(のびる)地区は海に面しており、震災では甚大な被害を受けた場所です。すっかり変わり果てた風景から、復興が進み今は、防潮堤の工事が進行中で住居は高台に移され、道路も舗装され新しい街に生まれ変わっています。
 震災被害のことは、東松島市東日本大震災復興祈念公園にある「震災伝承館」で資料を見ることができます。なにより、この伝承館自体がJR仙石線旧野蒜駅で、2階建ての立派な駅舎には外壁と建物内に津波が来た時の水位のところに印がつけられています。

 野蒜地区の震災前、震災の時、そして復興の歩みを伝承する場所となっており、実際に使われていた券売機、時計も記憶と記録のために残されています。当時の恐ろしさを物語る、ホームの曲がった鉄骨なども遺構としてそのまま残っています。
(野蒜駅あれこれ・・・出展:村松 拓氏「海の見える駅」 )

■「復興の森」と子供たちの妖精、そして青い空

 「復興の森」の入り口には、森のシンボルであるツリーハウスがそびえています。

 ツリーハウスを登ったあたりからいよいよ森に入っていきます。復興の森づくりプロジェクトによって整備された森には、「森の学校」のために道が作られ、「うまのひづめデッキ」や「サウンドシェルター」があります。ここからの見晴らしは、とても気持ちがいい!
青い空に轟音!?近くに基地のある華麗なアクロバット飛行をするブルーインパルスです。(航空自衛隊 広報)
 東松島市は日本の、東京2020オリンピックの聖火到着の地になっているのです!その時にブルーインパルスが空に描くものは!?期待が膨らみます。

 森の中でところどころの木にピンクの紐でなにやら紙が貼られています。よく見ると、子供の名前と妖精?の名前が書かれています。子供たちが自分の気に入った木に名前をつけて「自分の妖精」にしているそうです。
 復興の森に隣接する宮野森小学校、通称”森の学校”は、リゾート施設のような素敵な木造校舎。復興の森も学び舎として、子供たちはそこでのびのびと学べるようになりました。

■情熱と絆

 野蒜地区は農業も盛んです。しかし、津波にあい田畑も大きな打撃を受けました。一般的に津波を被った田畑の復旧は数年は不可能と言われています。
 このような定説を覆し、ここで農業を営んでいた「有限会社アグリードなるせ」は、震災のあった秋にコメの収穫に成功します!成功したといっても、そこに至るまでの道のりは半端なものではなかったのは当然です。いろんな方の協力、何よりも復興への熱意と情熱が実りをもたらせたのでしょう。

 その時に協力して地域を盛り上げた一人が、岩手県盛岡市で馬の牧場を経営する「一般社団法人美馬森Japan」です。「馬は人を集める」という馬特有の魅力を活かして、活動を始めました。
 馬には、癒し以外にコーチングや生き方など、教えられることはたくさんあり、社員の研修に生かしている企業も多いとのことでした。
農業と、馬とで地域を盛り上げるイベント)

 こうした多くの方々の協力で今、素晴らしいコミュニティができてきていました。

■期待

 今回の東松島の訪問で、今までニュースでしか見たことのなかったことの現実を見て、多くのことを感じました。一番印象に残ったことは、人と人とのつながりの大切さと、そこから出てくる力の強さ、大きさでした。
 オカムラの社内の研修の場としての視察を兼ねた訪問でしたが、ACRON活動の場としてだけではなく、参加するメンバーは予想以上にまたは、思いもよらないものを持ち帰ることになるのではないかと思いました。

おまけ:奇跡の復活「えんまん亭」の牡蠣ラーメン。体と心にじんわりしみいる味でした。

[文 ACORN編集部]

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